こんばんは。松です。
財前時子様をプロデュースするPのありようについてアレコレ考えていました。
今回は自戒も兼ねてそれについて記します。
女王-奴隷とアイドル-Pの関係性の差
まず、財前時子様は女王様なアイドルであるといえます。早速本題を言ってしまいますが、SM的な女王様というキャラクター性はアイドルとは微妙に相性が悪い、というかそれに付き従うP像が定めにくいのです。
SMの女王様のM側、即ち従うものの理想像は「女王様の悦びは自分の悦び、だから全肯定する」といういわば「奴隷」と考えられます。一方でアイドルのP、即ち従うものの理想像は「アイドルを信頼はするが、時にはアイドルの意見を変えようとしたり理想像を指し示したりする」というPと考えられます。
ここでは私の思う理想のP像が正しいとして話を進めますが、この理想のP像は「奴隷」とまるで食い違っているどころか、SM的な目線だと勝手なイメージを押し付けてくる「エゴマゾ」にもなり得ます。同様にしてアイドル的な目線でも「奴隷」のようなイエスマンは決して良いとは呼べないでしょう。
作中ではPは時子様のご機嫌を取りつつ(肯定しながら)、Pの思惑であるアイドル活動へと仕向ける(Pのエゴを通す)という形で物語が進んでいます。これは折衷案として満足できるものであり、作中でもこのやり口について時子様は高く評価しています。これが時子様のPとしての理想像と呼べるでしょう。
作中のPとプレイヤーの乖離
ただ、これはゲーム内のPのスタンスであってプレイヤーのスタンスがそうとは限らないのです。作中のPとすり合わせられればそれが一番なのですが、どうにも時子様とPがどうしようとプレイヤーは画面をタップするのみでして、プレイヤーの分身であるPが時子様を悦ばせつつ意見を通している、というよりむしろPと時子様の関係を客観的に見ているのに近く、すり合わせが難しいのです。
すると前述の口出しの多いエゴマゾなPと理想的な奴隷にしてイエスマンなPも時子様を好むプレイヤーに混在してしまうわけで、解釈違いなどが起こりやすい環境であると言えるのです。
どうすべきか
根本的な解決法というのは私にもわかりませんが、どういうスタンスなのかを自覚し自重することが最善でしょう。
書いた理由
ちなみにこれを書いた理由というのも、前に嗜められて自分の「エゴマゾ」さを自覚したために財前時子様のPとしてのあり方を見つめ直すことになり、自分のはまった落とし穴を周知すべきと思ったからです。
時子様の達観した価値観に惚れたものでありまして、以前に自身のありようについてはあんまり考えてませんでしたからね…… 再度言いますが勝手なイメージを押し付けることのないように気をつけましょう。
ご覧いただきありがとうございました。