こんばんは。松です。
一見すると、人を縛り付け支配する女王様な財前時子様に「自由の肯定」なんてテーマはありえない、と思われるでしょうが、読んで下さいね。
時子様の魅力は、その高圧的な態度とそれに見合った品や矜持です。そんな彼女の前に、作中のPやファンは額ずかざるを得ない……
それも然りですが、一つ大切なことを忘れています。時折選択肢が出てプレイヤーの意思を通してくれるから勘違いしがちですが、作中のPは我々プレイヤー自身ではありません。
いつぞやか時子様が「アイドルは戯れで飽きたらやめる」と言っていましたが、同様の権利をプレイヤーは常に保持しているのです。
この時点で作中のPはともかく、現実のプレイヤーは時子様と対等の関係にある、いやむしろ時子様はゲームの中の存在でありまさに「釈迦の手のひらの孫悟空」に過ぎません。
無論、身も蓋もないことを言ってただ時子様の権威を否定しけちょんけちょんに貶すためだけにこれを書いている訳じゃありません。
だからここで、じゃあなぜ時子様に惹かれる人が存在し、わざわざ義務でもないP活動や努力をするのかを考えるのです。
それは一つ、時子様が大切な胸に抱き続けていたいものだから、に他ならないでしょう。続いてその大切である理由、すなわちその女王様な気質を除外した彼女の魅力について述べます。
時子様のその威厳は作中のものでこちらには影響力を持たないものだとしたら、彼女のその魅力はどこにあるかといえば、「その放縦不覊さ」と考えられます。
彼女はファンやPを時に豚と呼び時には評価し時には蔑んで、あくまで暇つぶしとして勝手気ままにアイドルをしている…… この好き勝手さです。これは見る者にも「人はもっと好き勝手に生きてもいい」や「責任を負う限りの自由」というものを感じさせます。
そうでなくても前述のように、時子様はPあるいはプレイヤーを縛っているようでそうではありませんから、皮肉にもプレイヤーは時子様をプロデュースすることもやめることも「自由」であります。
故に時子様はその女王様モチーフという他者を縛り付ける存在でありながら「自由」や「放縦」さを体現し肯定する存在であると言え、それも魅力なのです。
ということで、時子様の魅力についての私の解釈でした。
オマケ 時子様の人となりの考察
あとそれと、私が先程「現実のプレイヤーは時子様と対等な関係にある」と言ったのにはもう一つ理由があります。
それは、「時子様は自身と対等、というか特別扱いせず接してくれる人間を探しているのではないか?」という私の解釈によるものです。
威風堂々とした桐生つかさちゃん、(マイペースな面が多分にあるが)冷静沈着な高峯のあさん、とにかくドーナツな椎名法子ちゃん、大人の寛大さな柊志乃さん、無垢で固定観念のないちびっ子アイドル達…… 時子様が交流する相手で印象に残るのは彼女らで、彼女らとは一方的な指令ではない会話が成立してるんです。
彼女らの共通項を探せば、時子様に物怖じしない・余計に慮らないことでして、なら対等に扱われるのを求めているのかも? と思うのです。
Pから報復の隠しクラッカーを受けた時にも捲し立てて狂喜していましたし、高圧的な態度で人を踏みつけるのも、人を篩にかけている・裏腹な行動を取ってしまう、みたいに解釈できます。
だから私は上述のように、時子様を崇めるのをやめてあくまで他のアイドルと同じ扱いにすることに決めたのです。
これまた解釈にすぎず確証はありませんが、イエスマンしかいなかったら時子様は退屈するでしょうし、時子様もそれを望んではいないと思うのです。
ご覧いただきありがとうございました。